Lawrence English@ Loopline

最終的にLawrence Englishの公演を選んでしまった。今回Alan Silvaを選ばなかったけど、その理由は、どうしても観たかったら六本木の公演に行けばいい話だと思ったから(とはいっても、今回のメンバーのラインアップからして、それほど好奇心をそそられはしないんだけど)。して、22日のループラインは、以下の4名(ユニット)。

Lawrence English
K.K. Null
セロリーマン(変なドレス+いとうはるな+サム・ベネット)
アナロジック(坂本拓也,大城真)


セロリーマンとアナロジックはどうしようもない。幼稚園児にはうってつけかもしれないが、幼稚園児でもこんな演奏は御免こうむりたいだろう。

Lawrence EnglishとK.K. Nullは親交があるらしく、両者ともフィールド・レコーディングを駆使していた。K.K. Nullが言ってたとおり、それぞれ独自のアプローチ法があって興味深かった。Lawrence Englishは、フィールド・レコーディングで収集した音そのものを加工することによって、四季折々の、自然のやさしさ、厳しさ、深さを表していく。時に美しく、時に崇高に。風(暴風?)の音は、自身の息をマイクでひろって、それを加工したものを使っていた。とてもsensitiveでsubtleだった。

対照的にK.K. Nullは、もっとざっくりとした音を出してきた。フィールド・レコーディングの音にインダストリアル系ノイズをぶつけていく大胆さが面白かった(前者がエレクトロニカサウンドアートに分類される一方、こちらはouter limitsの分類に組み込まれてしまうことがよくあるというのが、よく納得できる)。すでに記憶が薄くなってしまっているが、フィールド・レコーディングの音をインダストリアルな音にスライドさせていく時に、二つのタイプのを一瞬にしてスイッチさせてしまうのではなく、グラデーションのように、不自然さを感じさせずに行き来してしまうのだなぁ。

ところで今回、K.K. Nullの公演を観たのは初めてだったのだが(音源ではおなじみの人)、物腰のやわらかい体育教師みたいな人物、口調に意表をつかれた。彼の作品のリビューからボクが想像していたのは、もっとアウトローでインキャパシタンツみたいに暴れまくる人だった。ひとつの思い込みが解消された。

もうひとつの「ところで」を加えたいのだが、Looplineは実験的な作品を気兼ねなくやらせてくれる/観せてくれるいいハコだと思う。だが、その実験性があだとなっているらしく、演奏中に出演者側の機材トラブルがよく発生する。小さな話ではあるのだが、永らくライブを観ているボクではあるが、そういう機材トラブルに見舞われたことは他の会場においては一度もない。また、こじんまりとした会場であるためか、仲間うち公演や緊張感のない演奏にも見舞われてしまう。どうにか改善できないものだろうか。