ピーター・バラカンさんの講演

今日は出身大学の英文学会がありまして、そのシンポにピーター・バラカンさんが講師として招かれ、イギリスのポップ・ロックミュージックにおけるブルースの影響をお話くださいました。ボクはあまりブルースには興味がないのですが、勉強になりました。

早い話、イギリスのロックミュージックは、アメリカにルーツを置くブルーズの影響なしにはあり得ないってことが話のないようだったわけですが、ボクみたいなたちの悪いリスナーとしては、そこに居心地の悪さを感じてしまいます。

というのも、イギリスのロックミュージックの大部分が常にブルースの影響に晒されてしまうというのは、形式的な新展開がほとんど望めないということを意味してしまう。ボクにとっては。それが理由で、ボクはロックを聴くのが本当にしんどくなってしまった。たとえば分かりやすい話として、クラプトンみたいな人が、何十年間も昔の曲を儀式みたいに演奏するとか、バンドの編成のあり方を疑うこともなしに昔ながらのやり方を踏襲してしまう(ドラム抜きとかベース抜きの編成とか、考えつかなそうでしょ?)ことを、とてもだらしない、みっともないと感じてしまう。

懇親会でバラカンさんに直接伺ったのは、アメリカからの借り物の形式をイギリスのミュージシャンが取り入れてしまうことに、イギリス内でreactionaryな反応は発生しなかったのかしら?っていう質問。ボクはFairport ConventionとかPentangleみたいなフォークものを想定しつつ、この質問を投げかけてみたんだけど、ちょっと質問の意が伝わらなかったみたい。ちょっと残念。

そうそう、このシンポのオーガナイザー、飯野友幸先生が文献表に挙げておられた

がちょっと気になる。この研究書を忘れてしまわないためのリマインダーとして言及した次第。