シュガーベイブだったよなぁ、この人。

今日は別に書くようなネタもないなぁ、と思ってた所にステレオから大貫妙子の声が聴こえてきた。ステレオとはいえラジオのチャンネルの中に、例外的にNHKのテレビ第一放送(いわゆる1チャン)が入ってて、深夜はたまにこれを聴いたりする。たぶんテレビでは、どっかの国の風景とかが映ってるんだろうが、ラジオだからそんなのは全然関係ない。だから、音楽と一対一の関係で大貫妙子の歌声が聴こえてくる(すごいなぁ、いま妙子オンパレードですぜ)。

大貫妙子のCDをよく聴いたのは小林武史が参加し始めて以降なんだろうけれど、じつはその頃の大貫妙子のCDにはそれほど興味ない。じつはソロになった頃のCDっというかLPが一番思い入れがある。とある渋谷のクラブに毎週のように通ってたボクですが、行く度に、それも多くのDJが回したのが大貫妙子の曲だったことが大きく関係する。

どうなんだろうか?大貫妙子のイメージって?昔はヨーロッパ3部作とかわざわざ言ってしまうくらいだから、フレンチポップ独特のコード進行(ルイ・フィリップがイギリス人なのに多用する類いの進行。ステレオラブがこれ使うのはわかるんだけど)が強く印象に残っているっていう人が多いんだろうなぁ。あと、オーケストラをバックに歌うような感じとか。でも、そうじゃなくて、シュガーベイブ経由の大貫妙子。これが凄い。

その渋谷のクラブで、って流れてたのは、『サンシャワー』というアルバムの「都会」。坂本龍一とか山下達郎、あとは何年か前に急逝したけどギタリスト大村憲二(これはホントに耳を疑うニュースだった)か。今念のために確認したらベースは細野だったわ。リズムセクションは文句ないし、坂本龍一のキーボード(というか、たぶんフェンダーローズみたいなやつ)もゆらゆらな感じだし、グルーブが気持ち良いのだけれど、のだけれど、どうしても心に引っ掛かるのが、

   その日暮らしはやめて
   うちへ帰ろう、一緒に

というフレーズ。これが、なんか、こたえた。辛いんだわ、未だに、このフレーズ。自分のこと言われてるようで(1chの妙子オンパレード、現在も進行中。『ルーシー』の「ウ゛ォルケーノ」という曲。このアルバムにはたしか、アート・リンゼイ参加でしたっけ?)。いや、あんた働いているじゃないか、って人はいうかもしれなけれど、似たようなもんじゃないですか、ボクのしてることとその日暮しって。しかもこのフレーズにでてくる人たちって、どっかふらふらしてる感じでしょ?根のない感じ、っつうんですか?かぶってしまうわ、ボクに。やるとなったら心一つに決めて、邁進、みたいな事、ちょっと含まれてるのだろうか?そんなこと、ボクできないですもん。

で、ですね、これが渋谷のクラブで流れるってのが...なんて言ったらいんでしょう?クラブという空間で、この曲を毎度耳にする。この空間は基本的には楽しい感じの空間だ。でも、だ。でもですよ、音的にも、大貫妙子も好きだけど、このフレーズのところに来るとですね、このグルーブたまりませんなぁ的なトーンがですね、一気にズドンと沈んでしまうわけですわ。すると、こんなクラブとか、いつか卒業しないといけないのかぁ、とか。ボクってガキなんだなぁ、とか(今でもしっかりガキですけれど。いろんなところで学部生扱いされますからなぁ。見た目的にも、知性的にも)。いつまでもフラフラしてるんじゃねぇよ、と言われてるようで、痛い。とにかく痛い。

でも思うに、大貫妙子さん、あなたもなかなかのフラフラリアンですよ。1年の半分は旅行にいくと、前にラジオで聴いたことがありますぜ。このボクの状態、どうしてくれるんだ!とクレームつけてやりたいが、でも、もしかして自分に言い聞かせるように「都会」の歌詞を書いたんですか?もしそうだとしたら...