モタコさん、ゲロッた

朝起きて、まずネズミを殺した。

どうも昨日天気が良かったので家中の窓を開けてた。どうもその時に縁側から入ってきたらしい。夜中もばたばた物音がするから(音には敏感なボク)なんかいるのだろうとずっと訝ってた。すると、いた。両親も殺生に力を貸してくれた。家族の中で実は、ネズミを殺す殺さないという議論をしたことがあった。ボクはネズミによって害が実際にもたらされたら殺す、と言っていた。父は殺生は嫌だと言っていた(かつてオリンピックの選手としてスカウトされちゃうくらいのライフルの腕前で、キジやらなんやらを撃っては鍋にして喰らってたクセに)。母は最も凶暴で、速攻殺れという主義だった。でも、じっさいネズミを目の前にしてしまうと、ボクを含めて皆殺生にためらいはなかった。ダスキンモップでネズミを押さえ付けるボク。そしてどこからともなくネズミの頭をめがけて棒が突き刺さっていった。両親のどちらがその棒を握っていたのか、記憶にないほどボクは興奮していた。

そんなこんなで夕方になって、今日はモタコさんのオシリペンペンズ、overhang party, そして三社(三上寛のバンド)を観た、新大久保のearthdom。ここでいろいろなことを知ってしまった。数カ月前にjohn faheyが亡くなったんだそうですね。先月は目まぐるしい生活でぜんぜん音楽の情報を収集していなかったからなぁ。先月号くらいの雑誌を読んでて判明しました。恐らくボクとは違ってしっかりしてる人たちはみんな知ってることなんだろうなぁ。日本でも追悼ライブがあるようで、時間が確保できればいってみたいと思うデス。それから、これはoverhang partyの福岡林嗣のアナウンスメントで知ったことだけど、金子寿徳が先月急逝していたことだ。たしか去年の夏、とある雑誌のリビュー読んで、このバンドよさそうだな、というのが金子寿徳のバンドだった。結局それから彼の作品を聴くこともなく、生で聴くこともなくおさらばか。

で、ライブは、ですね...オシリペンペンズは新旧交えての構成だった。アルバム出るのかな?そろそろ。ボクはモタコさんが好きだ。あの過剰に自虐的なスタイルが。けなしてるんじゃないんですよ、ホントボク好きなんですわ。うまいとか、へたとかの問題でなくて、あのメンタリティーが。しかしモタコさん、酒のみ過ぎ。ステージ上でゲロッたの、ボクにとってはモタコさんが初めてですよ。たぶんモタコさんにとってはそんなのはしょっちゅうやってることかもしれないけれど、東京でしか聴くチャンスがないボクにとっては、びっくりネタですよ、ステージから降りたらボクの方めがけて突進してくるし。でもね、なんか今日のモタコさんヤバいな、とは思ったよ。ゲロる直前、モタコさんの顔、異常に真っ赤だったもんな。酒やらにゃやってられない気持ち、凄くわかるけど、でもね、いくらサイケデリックにジミヘンが好きだからって、自殺だけは止めてくれ、モタコさん。音楽的には、どうなんだろう?もしかしたら、たった3人の編成だし、音のバラエティー出すのが結構難しい状況にあるかもしれないね。ギターなんかも一つの音で通しちゃうし。じゃあ、結局はモタコさんの自虐をもっと押し進めるのか。でも、極度に押し進められても...難しいバンドだ。

でoverhang party...これね、ダメだわ。スタジアム・ロックにスズキジュンゾがノイジーなギターを重ねてるだけで。それしか言うことないわ。冗長だし、退屈だったので、後ろの空いてる席に座って、寝ちゃいました。グーグーと。スズキジュンゾなんて、ドレッドヘア決めてるけど、山塚アイのなり損ないみたいなもんだし。

で、三上寛ですよ。三社は実は初めて。というより、ボクは三上寛のどことなくパトリオティックな雰囲気が苦手で、今までで生の三上寛は2回しか観てない。最近はずいぶんと海外で公演をしてるから、そういう部分がわからんノン・ジャパニーズには受けるみたいだ。今日は目を疑った。常に酔っ払いの三上寛が、公演前にはジャムパンを食べるという三上寛が、ピンクのシャツを着ている。しかも、白い、しかもちょっと変なグレッチについているストラップは水色。異色過ぎる。ミスマッチとか、そういうこと考えないんだね。というか、そういうミスマッチ具合こそ、三社の音を表現していたりしちゃって。しかし今回、それはそうとして考えてしまった。三上寛の歌詞って、演歌っぽく、しかも戦争をどっかで賛美してるな、ってのがボクの第一印象だったんだけど、こんな感じの歌詞があったんだよね。正確に記憶してないけれど、戦争をいくら反対されたって/戦争は美しい、みたいなフレーズ。

たぶん、の話ですよ。三上寛やボクを含めて、大勢は一応戦争は反対なんだろうと。でも、戦争に美を認めてしまう、なぜなら戦争は浄化してくれるから、この世界を。その世界を浄化してくれるであろう武器や兵器も、テクノロジーが発達した世界では人類が想像もできないような破壊力を持つのだろうし。バカでかい音をも発してしまうし。こんな未曾有な経験を、ボクだったら美と認めてしまうだろうと思う。manoeuvreということばで戦争と芸術が簡単に結びついてしまうのはこの点だろうとずっと思ってたのだけれど...う〜ん、何かうまく言えないなぁ。manouevre(平たくいえば戦争)=man(人間)+oeuvre(芸術)ってことか。テクノロジー万歳!って手放しで賛美して、それを戦争が最も明白な形で表して。武器や兵器が完成して。で、ひとは、やっぱり殺されるのか。この死も美しいんだろうなぁ。

いやいや、この部分現段階でいくら考えても無駄だろうけど、IT革命とかで、テクノロジーがもてはやされてるけど、そういうボクの行為がどっかで(といいながら、また別のどっかで現代のテクノロジーに疑いの眼差しを向けてるけど)、間接的にでも戦争に加担してしまっているという紛れもない事実を三上寛のライブは考えさせてくれたような気がする。キトラーだったっけ?テレビにしろ、蓄音機にしろ、ラジオにしろ、こういうものは全て、戦争技術開発による副産物であることを言っていたのは。そりゃそうだよなぁ、相手を打ち負かすためには最新テクノロジーが必要ですもんなぁ。で、ボクはその恩恵にあずかっているんだ。こうやって日記書いたり、エフェクターを数珠つなぎにしながら。

あ、でルフトのCさん、今日はサンキュ。今日は裸眼だったから、事の進行中、どんな風になっているのか全然捉えられなかったけど、ホント、ナイスですわ。メガネかけて、ワォ!でしたよ。