boris/ flood

ボリス。メルツバウと並んで海外でも知名度のある日本のノイジシャン。ノイジシャンと言ってもインダストリアルなインキャパシタンツとは違ってまだ音楽の体をなしている分だけ取っ掛かりやすい種類のバンドだろうか。ユリイカでポストノイズ特集やったあたりから気になりだした人だけど、羅針盤以来、自分内爆発しそう(羅針盤に関してはそのうちちゃんと書こうか。ボクにとってはあまりにインパクトの大きいバンドだったから)。この音は、美しい。圧倒的に、鋭利に、そしてメタリックに。羅針盤の音もそうだけど、この音でも、死んでしまいそうだわ。

音の感触を、わかりやす過ぎる例に例えると、radioheadのok, computerに近い感じか。で、バンドの構成は恐ろしいほどシンプルだと思う。ドラムとギターとキーボードくらいか、あとはちょっとキーボードが入ってるくらいなもんで。別に難しいことをfloodで果たそうとしている感じもない(ここ、凄く大事。show-offするのって、ボクは忌み嫌うから。でも音楽やる男ってこういう輩が多すぎてたまに滅入る)。でも、その割にはなんでしょう?この静と動のコントラストの凄まじさ、ボクがいうのはおこがましいけど、静の背後に動があること、コードの背後にディスコードがあること、音の背後に沈黙があること、この作品はしっかりとその辺のことを示せている。そして音楽の背後には死が必ずつきまとっていることを(羅針盤のライブ中、山本精一が「こんなのばかり聴いて死にたくなりません?」って観客に聞いていたの、よく覚えている。自分にはそれがドはまりだったから)。

静の部分は、何というかhiguchi hisatoの感じか(この人の名前,漢字で表記されてるの見た事ないの、ごめん)。シンプルなギターの背後に呟くようなボーカルが聴こえるか聴こえないか位の感じで(これをloomしていると英語だったら表現したいんだけど...)。またまた羅針盤の歌詞を出せば「耳鳴りの奥から聴こえる静けさ(「音」)といった感じか。で、これが時にexplosiveになっていくんだけど、こちらはちと気になることが。というのもマッチョになり過ぎる。これがもっとマッチョになってしまったらヘビメタみたいになっちゃう。歌い方も大げさになってしまっているし。極端な話、ここは歌わない方がいいのかも知れない。それでも単なるヘビメタみたいにならないのは、マッチョなエネルギーを音に注ぎ込んでも、やっぱりその音に対して距離感があって、一歩引いたポジションにこの人はいられることにあるんだろうなぁ。

よしよし、なんとなくノロプロ、見えてきましたよ。関係者(ボク以外に1人か2人、不定形なもんで)、そろそろ覚悟して下さいよぉ。

そうそう、話は変わるけど、high llamasとmaher shalal hash bazがそれぞれ新作出しましたねぇ。CD整理している時にはたと気付いてしまった。はやく買わねば...