隠れサイケ?slapp happy

ボクはそれほどサイケものに関して詳しいわけではないのだけれど、ノイズを聴くようになって以来、サイケっつうのは常に周囲をウロチョロしてる存在になってしまった。ここのところはよく分からないけど、ノイズの恍惚感みたいなものが、結局サイケ感につながっていくということなのだろうか。まぁ、良質なノイズはサイケデリックであるべき、とか、ノイズとはそもそもサイケとかいう言説さえもあるような気がするけど。

で、サイケのこと、最近よく分からなくなってきた。前回書いたように思うけど、(安藤政信ふかわりょう)÷2のアニキが貸してくれたpeter ivers。聴いてみたのだけれど、スリーブからイメージした音と、CDから実際に聴こえる音との間に、決して狭くはないギャップみたいなものを感じてしまってん。これをどう考えればいいのか、これはただサイケの奥深さということで済ましてしまえばいいのか、それとも、サイケに関する自分なりの定義を、たとえ少しでも改めないといけないのか、考えてしまってね。ライナーノーツ読むと、「別の形のサイケ感」みたいなものを彼は提示しようとした、という旨が書いてたんだけど、うーむ、困った。

音楽に関して、永らくnew waveものをばかり聴いていたボクは、サイケって言葉とはほとんど無縁だったわけだけど、初めてサイケとか意識したのは、10数年前、かな。ブル−ノートのコンピでたしか、ananda shankarとかのインド系グルーブものを聴いたときだろうか。でもそれでパタッと終わり。で、羅針盤山本精一の「フラット唱法」でサイケ感がではじめて、その流れで聴くようになったのが、今日の日記のタイトルに出てきたslapp happy

たぶんこのバンドは、ギターポップの延長線上にあるような、インディーの大御所的なバンドとして認知されてるのだろうか。今手元にあるのが、セカンドアルバム_Ca Va_だけど、リリースが1998年。でもこれが実は24年ぶりのアルバム、ってことだから、ファーストは1974年、ってことか。ボクの生まれる以前の話だ。

メンバーはanthony moore, dagmar krauseとpeter blegvadの3人。blegvadは前から知ってた。xtc関連で彼の名前はしょっちゅう目にしてきたし、たしか彼はイギリスのロイヤル・アカデミーかなんかに関わってたような気がするし(同姓同名でなければいいけど)、大学の先生もどっかでやってた気がする。ちょっと変な聴き方をするとエンヤっぽい音づくりなのだけど(この表現は本当はしたくない。ボクがエンヤを聴いてるんだろうなんて思われたら一生の恥だもん)、そこはさすがにそうはなってない。blegvadはそんなことを許すはずがない。シンセが大きな役割を担っている中、つくりとしては相当凝ってる。取っ付きやすさといえば、このバンドはかなり向いてないバンドだろう。slapp happyというバンドにしては、トーンはダークだしな。でも、そのシンセの音もさることながら、たぶんdagmarのボーカルなんだろうなぁ。iversほど個性的ではないにせよ、大人びたphewみたいな感じか。あぁ、今気付いてしまったけど、元スクイーズのjools hollandが一枚嚼んでるんだ、このCDに。シンセが多用されるはずだ。

で、サイケの定義?よく分からん。でも、ボクが音楽聴きながら死んだりしたら(音楽聴きながら死の衝動に駆られることはままあることだ)、その時の音楽がサイケってことかもしれない。