Islaja Live @ 7th Floor

昨日のライブ。あんまり考えが整ってない。いつも物事の浅いことばかりをつらつらと書いているんだからいまさらそんなこと言うなとお叱りを受けそうだが。

昨日ライブ会場に到着するまでが大変で、睡眠が不足がちな日々のために、会場手前の坂をのぼるのがたまらなく辛かった。1ドリンク飲んでみたら、不思議なものだねぇ。ちょっとは元気になったよ。

でも帰宅すると睡魔には勝てずもう眠くて眠くて…『ワイアー』の記事を2,3読んで寝てしまいました。

昨日のラインアップは以下の通り。
Helll
hisato higuchi
テニスコーツ(に変更されました。本来は、テニスコーツとほぼ同メンバーのつくしとりが参加予定でした)
Islaja

ツワモノぞろいでしたよ、テニスコーツ以外は。というわけで、テニスコーツのこと。先日のブログでちょいと触れたけれども、「うた」というものが僕はいまとても理解ができなくなっている。特に個々のケースに至っては、なぜこの人は歌うのだろうか、という疑問が頭をもたげて来る。うん、ちょっとぼくは、今歌を歌うということに辛さしか覚えられない。

植野隆司のギターの器用さというのは誰の耳にも明白だと思うのだが、ボクは彼のギターの上達が実際にあることだとしても(あるのだろうが、実際に)、まったく興味がない。それよりも、感じざるを得ないことは、ピアノをかねるボーカリストの歌(さや、ってひとでしょうか???)によって、ギターの可能性が剥奪されてしまっているのではないか、という(要らぬ)心配だ。ギタリストにとって、歌そのものが足かせになってしまわないとは誰にもいえない。はっきり言おう。あれでは単なる、ギタリストの音がちょっと技術的に長けたのど自慢だ。

で、最初に登場したのがHelllなのだが、これがビッグヒットだった。以前ちょっと触れたこのCDを思い出させる音だった:

Big Dig

Big Dig

温くて刺激的な音。ブーンと低く垂れ込める音が鳴るなか、時々刺激的なアクセントが鏤められる構造、とでもいうか。時折昆布梅茶を飲むのですが、お気に入りは唐辛子入りなんですよ。これに近い感じ。昆布と梅のフレーバーが口のなかに広がるのですが、唐辛子が時折いい感じにアクセントとしてピリッとする、みたいな。ボク、何書いてるんだろう? ちなみに佐々木敦系の、ってことです。

イベントが12月15日(土)にあるという告知をゲットしましたが、プレゼンの日とかぶっちゃったよ。行けないじゃないの(ボクはプレゼンと懇親会、すなわち飲み会をカップリングものとして考えているので、飲み会を抜け出すってことはありえませんのよ)。

樋口寿人さんは、過去見た2回の公演と形態が違うので楽しみにしてた。形態の違いというのは、ドラム鈴木悦久さんの起用があったから。まぁしかし、たぶんこの会場はとあるビルの7階で、どうやら階下もライブ会場らしいのだが、樋口さんの演奏中もその階下からやってくる音が聴こえてしまい、演奏する方も大変だなぁ、と思った。まぁそれはともかく、ドラムの起用というより、一種の競演というのが樋口さんの音楽でありだということは、意外に思っていた。

というのもいろいろリリースされたものをまだ短期間ながら聴いてきて、樋口さんの音はとてもパーソナルな音を響かせているなとずっと思ってきたのだ。で、そのパーソナルな性格のあまりに、樋口さんの演奏は他者が鳴らす音を受け入れる隙さえないだろうと勝手に思ってた。ライブ版を先月やっと手に入れて、この感想は強まるばかりだった。つまる話、競演はありえないだろう、と。

そのライブ版に関してだけれども、どうもよく聴いていると、ギターのバックに遠くから響いてくる電車の音が聴こえる。で、人によってはこの電車の音みたいなものを、孤独の表象みたいな解釈をするらしいのだけれど、ボクにはそうは聴こえなかった、実は。

樋口さんの作品を空間ということを意識して聴くと、密室の音としか聴こえない。しかも閉ざされた密室。だけれども、である。その遠くから響く電車の音が聴こえてしまうことで、その密室性が破れてしまう。電車の音が聴こえることで、その空間が決して密室ではなく、外部とのやり取りが可能な空間に、もしくは外部からの侵入がありうる区間へと様変わりしてしまうのだ。この時もはや、閉ざされた密室ではなくなってしまうのだ。電車の音が遠くに響いているような、という距離感もまた、さらにその密室性を壊してしまうものとして機能してしまう。電車の音は、あらゆる意味で逆効果だ、と。

納得できなかった点を挙げるとすれば、まさにこのことだ。だから、あくまで樋口さんの演奏をまず第1に考えたとき、だれがどう楽器を操ろうが、彼の演奏はどうしても他者の演奏に拒絶反応を示してしまうのだろうと。

そういう訳で、昨晩の演奏はボクも実はどう考えていいのか未だにわからない。ドラムを起用することで、どうボクが聴いていたのか。いや、別に昨夜の演奏が満足なものではなかったとと断言するのでは毛頭ない。それどころかドラムの方は、よく樋口さんの演奏に果敢にくい込んでおられたと思う。でもこの地点でボクは思考停止してしまうのが正直なところだ。

ちょっと逸脱するが、樋口さんの音はある意味とても暴力性に富んでいる。断っておこう。暴力という言葉を否定的なイメージでボクは使いませんよ。ボクは暴力を肯定も否定もしないけど、とりあえず大好き(←これ以上のない肯定だ)。それよりも、暴力をむやみに押し殺そうとする社会のほうがよっぽど暴力的だ。また、途中から展開される歪のかかったギターのことを言ってるのではない(あの歪で暴力的、なんてボクは言うはずありませんって)。

演奏を聴いていて暴力性を感じてしまうというのは、樋口さんの演奏が会場に静寂を強いているという嫌いがなきにしもあらずだからだ。あの空間では、下手にくしゃみでもしようものなら拷問だ(という心積もりで聴いております)。そういう余計な音の排除しようとするときに発揮される力を感じてしまうよ。実は、オーディエンスとしてもボクはこの暴力性を強烈に感じてしまっているのだが。

あぁ、長くなりすぎてしまった。

やっとこさっとこIslaja。よくもまぁフィンランドから日本に来たね。

そんなことはともかく、Islajaを一言で要約しちゃえ:女・灰野敬二

もぅ、やりたい放題すぎ。2台のマイクを駆使するなんて、灰野敬二を意識しているとしか思えない。またあの怪しさ。美しさ。時折見せる凶暴さ、みたいなこと。時には崇高な感じさえ醸しつつ。全部灰野敬二にリンクしていっちゃう。だからちょっとした既視感が否めなかった。個人的には結構暴れるのかしらと予想してたけど、思った以上に堅実な演奏でびっくり。あと弦楽器の弓でギターを弦をこするっていうのは名越ユキオ以来の懐かしい風景だった。ただ、もうちょっとサプライズがあっても良かったかなぁ...