綿内克幸
綿内克幸のセカンドアルバム 『メロー・イェロー』。
- アーティスト: 綿内克幸
- 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
- 発売日: 1994/10/21
- メディア: CD
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絵は出ないようだね。秋になるとこのCDに自然と手が出てしまう。リリースも秋だったが、黄と緑と黒を基調にしたジャケットだったりして、しっとり感がある。
実はこの人、ボクにはすごく影響を与えた人です。このことはあまり話したことがありませんが、だいたい彼を知ってる人なんてほとんどいないので話しようが全然なかったんですわ。この名前を口にするのは実に数年ぶりだ。
綿内克幸の活動はWebbというユニットから始まったらしい。確かメトロトロンとかいう鈴木博文のレーベルから細々とではあるがリリースを続け、いよいよメジャー・デビューということになったらしいのだが、その時の相方(Yuji Koikeとしかクレジットがなくて漢字がわかりません)はデビューには加わらず、綿内だけでデビュー。
ファーストアルバムから豪華だった。サロン・ミュージックだもの。コレクターズなんていう時代錯誤としか思えないバンドのメンバーの参加もあるが、他には今や世界をまたにかけるAsa-chang& Junrayのアサチャンも参加していたりして、トラットリア系の音楽が好きなボクにはストライクだったなぁ。
さらにいえば、デビュー当時はネオアコという文脈がメディアにたまに登場してミスチルなんかもデビューしてた時期で、綿内克幸もその一人として出てきてたんだよなぁ。もしかしたら、ミスチルの前座トかやってたかもしれない。
つまり、トラットリア系のミュージシャンのてんこ盛り、プラス、ネオアコだもの。当時のボクがはまらないわけがない。
その他結構いろいろ覚えている。沖山優司が綿内克幸のファルセットをベタ褒めしてたこととか。ライブのミュージシャンは、元々同じレーベルのカーネーションというバンドからギター、ベース、ドラムを補強してたこととか。あぁ、青山陽一(グランドファザーズの)もライブで参加してたっけなぁ。今から思い返しても、凄まじい演奏が聴けたってことなんだよね。高校生か大学新入生だった当時のボクにはもったいないくらいだ。
まだある。こういう言い方は本人にはあまり親切ではないかもしれないが、シングルのカップリング曲として収録された洋楽のコピーがクールにできる人だった。ダスティ・スプリングフィールドとかモンキーズ、ウ゛ェルウ゛ェットなど。サロン・ミュージックの趣向が大いに反映された格好だったかもしれないけれど、捨て曲なしなんですわ。サロン・ミュージックの良さを、結構地でいける人だったんだなぁ。以前綿内克幸のサイトに出くわしたとき、好きな曲のリストがやたらと基本的な路線を渋く押さえているなぁとわかって、カバー曲のチョイスに納得したこともあったなぁ。
で、どんだけ影響をボクが受けたのかというと、ですね。綿内克幸はホワイトペンギンというグレッチの真っ白なギターを使用していたのをまねるように、ボクもグレッチを買ってしまったのですよ。ただボクはホワイトペンギンなんて高くて買えなかったから、ファイアーバードという全然グレードが下のギターを買ったのだけれど。
そうそう、このペンギンの存在がでかい。ファーストアルバムのジャケットは彼がペンギンのぬいぐるみを抱いている写真だった。その後のアルバムもすべて、ペンギンマークが必ずあしらってある。「ペンギン男」とかいわれてたかも。
久々に聴き返してみてハッとした。ボクが持つ綿内克幸の歌い方の印象ががらっと変わってしまった。力んだり絶唱したりすることはないのだが、エナジティックな歌い方をしているなぁと以前思っていたのだが、このセカンドを聴いてみると結構あっさりと歌っているのだ。ちょっとだけハスキーな感じもいい。曲もロック、ネオアコ、サイケ、ウクレレを伴奏にした歌ものなどと多彩だ。やっぱりネオアコの王道行ってる気がする。
その後の活動は、メジャーからは退いてインディペンデントでやってるらしい。それからの作品にはボクはいっさい手を出していない。けれど、活動は続けているらしいことにはちょっと安堵を覚えるような気持ちもある。最近は彼のサイトさえまったくチェックしてない。どうなってることやら。