『ワイヤー』誌が.../聴衆の共同体

このところ土日も潰れることが多く、まったく雑誌はおろか、日々の新聞さえ読むことができない。そんな中、『ワイヤー』誌も2ヶ月分ほったらかしの状態。まずい...

最新号は

なのだが、三上寛のロングインタビューがちょっと楽しみ。

なんてちょっとのんきなこと書いているけど、最近はちょっと受容理論をかじらないといけないかなぁと思うことがある。批評理論とかで、ロシアフォルマリズムの次か、次の次くらいに出てくるやつ。

まぁ、そもそもそんなふうに興味を持ち出したのは、昨年夏のこと。ユリイカで特集された時の大友良英が、「オーディエンスのポジションがわからない、知ってたら教えてくれ」なんて旨の発言をしていて、インタビューワーに丸投げ丸返し状態だった訳だけど(肝心な時に、大友はいつも無責任だ)、それはたぶん音楽をやる人は(学問としての音楽も含む)、作曲者、演奏者に主眼が向くけど、聞き手にはあんまり向いてなことに、理由の一端があるようなきがする。音楽の受容理論とでもいえばいいだろうか。

なのに、音楽の話からいきなり共同体の話へとスライドする人もいるらしくて、なんか手続きが1つ足りねぇんじゃねぇかとうすうす感じてきた。ましてや、スタンリー・フィッシュ(だったっけ???)みたいに読者の共同体とかガッツリという人があるわけだから、ならば、音楽でもこの領域をやらにゃいかんのだろう。聴衆の共同体、なんちて。