イタリア未来派100周年記念イベント@Loop-line

2009年2月20日は、イタリア未来派の宣言がなされてからちょうど100周年にあたるそうだ。今ではほとんど顧みられないイタリア未来派だが、この日に限っては、世界中で100周年記念イベントが開催されるという。

イタリア未来派といえば、どうもマリネッティがまずは思い浮かぶという人が多いようだけど、ボク個人としては、ノイズを美の対象として扱い始めたルイジ・ルッソロが気にかかる。マリー・シェーファーの「サウンドスケープ」みたいな概念が出始めたよりももっと前に、ルッソロは都市の音も、田園の音も聴覚の対象として意識し始めたとボクは理解している。そういう意味では、ルッソロシェーファーよりもずっと先見性があったとボクはポジティブに評価している。

ところで、東京は千駄ヶ谷のLoop-lineで開催された、日本初のイタリア未来派際は、いくつかのポイントが曖昧なままで進んでいったイベントだった。まず、イタリア未来派に対して、4人の参加者がどういうスタンスをとっているのか。賞賛するのか、バカにするのか、乗り越えていくべきものなのか、それとも、そんなの関係ねぇ! と一蹴するのか。イタリア未来派を意識しつつ会場に足を踏み入れたボクとしては、このポイント如何で、聴き方がまったく異なってしまう。

第2に、一種のお祭りとして、彼らはどこまでイタリア未来派を拡大解釈可能なものとして捉えているのかだろうか。ある参加者は、未来派の画家が使用した渦巻きのイマジェリーにインスパイアされた形で、作品を制作したそうだ。でも、渦巻き状のイマジェリーのことを耳にした途端、それはイタリア未来派じゃなくてイギリスのVorticismじゃないのか、と疑問をもった。未来派に限定しても、それはボクの理解では渦巻きで想起されるのは、イタリアではなくて、ロシアの未来派じゃないのだろうかという疑問を持った。どこの未来派かということを一旦留保しても、それではJapanese Futurismイベントと捉えられかねない。

この疑問をその当人にぶつけてみた。すると、その未来派画家とは、(確か)戦間期くらいの日本人の未来派画家のことなんだとか(名前は忘れてしまいました)。もしかしたら当時の日本人の未来派画家でも、未来派とかVorticismとかが結構ごっちゃになっているのかもしれないなぁと思いつつ、あらそれじゃぁ、マリネッティルッソロもどっかに行っちゃったじゃない?! って憮然としてしまった。

しかし、このイベントに足を運んで、ボクが居心地の悪さを感じてしまった原因は、インプロやサウンドアートのイベントではありがちな、参加者のself-indulgenceにある。もう、どうにもリスポンスのやりようのないパフォーマンスだったのだ。観終わって、彼らに声をかけるとしたら、「ああ、よかったね」というのが関の山だ(だから、最前列に座っていても、ボクはほとんど仏頂面で通しました)。イタリア未来派の画家や詩人が残したレシピに基づいて料理を作るというパフォーマンスをみたって、「レシピ通りに調理すれば、まぁ、できますわなぁ...」

それでも、Loop-lineで公演がなんとか成立してしまう理由は、この公演が内輪のお祭りという性格を持っていたからにちがいない。参加者すべて、堅苦しいコトバのやりとりは行わない。観客も、ステージの人間も、みんな知り合いだった様相を呈していた。ふだんの会話を行うように、観客席と参加者とがトークをやりとりしている。ボクは、単なる1人の観客。イベントが行われるひとつの空間を共有しながら、ボクだけが取り残される感覚に襲われた(まぁ、気にもしちゃぁいませんが)。打ち解けた雰囲気が、必ずしも打ち解けた雰囲気とはならない典型的な例ですな。レシピに基づいて調理しても、未来派の詩を朗読しても、パソコンや機材の調子が狂っても、ボク以外の客は「よくできましたねぇ」って感じで参加者をほめるのだ。お達者クラブでもあるまいに。

最も最低だったことは、参加者の妊婦が、パンパンの腹を出して、そこに旦那(とおぼしき人)が機材を当て、音をデカクして、(未来の)赤ん坊のおもちゃを動かすというものだ。写真をはっつけてやろうというくらい、目も当てられない光景だった。ひとつの公演としても愚鈍。機材の調子がおかしいと訴えた参加者は、参加者4人のうち2人。金を返せとどなってやろうかと思った。

こんなことなら、来日しているハイ・ラマズの公演を見に行くべきだった。後悔の一夜だった。