労働者階級をめぐるモダニスト音楽とフォークソングの闘い?

最近よくこの手の記事を目にする。ボクが読む記事とか論文は、このテーマについて、散発的だったり断片的だったりするけれど、触れている。いつかまとめて文書化したいと考えている。

フォークソングは庶民的だとか労働者階級的などと特徴づけられたり、シンプルで覚えやすい構造とかと言われ、その対極としてモダニスト音楽が位置づけられていて、階級的にはちょっと高めで、アナリーゼがやっかいなものとか言われたりする。モダニストだったらフォークソングなんて鼻で笑っちゃうよね、みたいな両者の間に分断がはだかる。

1920−30年代のミュージシャンや動きを追ってたりすると、この分断が壊れているケースをしばしば目にする。

例えばイギリスのAlan Bushの例でも、この人はRoyal College of Musicという保守的な環境に身をおいていて、それでいてかなりマイナーなモダニストだけど、フォークソングを取り入れることで労働者階級へのアピールを図ったと一部では言われている。背景まで含めて考えるとややこしい境遇だけどね。

そんでもって昨日読んだのはJoanna Newsomのインタビュー記事。彼女自身はハープを抱えた美声の美女でポピュラーな世界でも有名人になってしまったけれど、Mills Collegeで民族音楽を学んだそうで、いろいろ学ばせてくれる記事だったけど、アメリカでもイギリスの例と類似するものがあって、Ruth Crawford Seegerなんかが挙げられるらしい。

モダニストフォークソングのイディオムを取り入れて、労働者階級を奪っていく。音楽なんかは識字とは違うから、テクニカルには難しくても労働者階級を十分に魅了しうるから、それは可能だという人もいる。

フォークソングをパクったからといってモダニスト音楽が労働者階級にべったりになるのか、みたいな議論はもうちょっと精査する必要があるだろうけど、モダニスト音楽が階級横断的な動きを見せたことは記憶しておく価値ありと見た。Ewan MacCollみたいなsocialist的なフォークシンガーがBBCを通して"national"な意識を打ち出した例もあるから。

BBCなどメディアの発達とペアで語られる'national"な文化なんかをボクはどうしても意識してしまうから、この現象がとても気になってしまうけど、こういうのは他の英文学関係の人びとの目にはどう映るんだろう?